私は、坂戸で生まれ、今日までこの「ふるさと坂戸」で過ごしてきました

私は、坂戸で生まれ、大学生時代以外の58年間をこの「ふるさと坂戸」で過ごしてきました。
(坂戸市立三芳野小学校、住吉中学校、埼玉県立松山高等学校、都留文科大学文学部卒業 ※山梨県)

中学3年生の9月1日、坂戸市(町から市へ)が誕生したときは、将来への明るい展望に思いを馳せ、希望と期待に胸はずませていた自分をよく覚えています。

その後は、
29歳まで坂戸市役所職員として、
30歳からは公立学校教員として、千代田小、・栄小(鶴ヶ島市)、鶴ヶ島第二小(鶴ヶ島市)、光山小(毛呂山町)、入西小(教頭)、片柳小(校長)、浅羽野小(校長)、入西小(校長)
途中、坂戸市教委学校教育課長、教育部長として坂戸市役所で勤務させていただきました。

※詳しくはプロフィール欄をご覧ください。

これら経験の中で知り合った方々や、保護者・地域の皆様方の声(停滞感、閉塞感)を聞く機会がここ数年多くありました。

その積み重ねの中で「どうにかしなくちゃいけない」という思いが強く、大きくなっていることを実感しました。

坂戸市民音頭にあるように 晴れ渡る空の青さのような「明るく元気なまち」に今一度

市民の平均年齢は高くなっても、子供からお年寄りまでが、「明るく元気で」いられる、「健康寿命日本一」のまちにしたい

“「明るく元気で」「温かい」新しいまち”を、市民の皆さんの英知を結集して皆さんと共につくっていきたい

そのために、「聴くから始める」ことを大事にし、「ふるさと坂戸」のために力を尽くしたい

「聴く」から始めるまちづくりは、時間と労力はかかるけれど、必ずや皆様の英知を結集して明るく元気で温かいまちにしていきます。

「1人の100歩より、100人の1歩」と言われます。

「行政の組織が動き、まちが新しく変わっていく」には、100,000人の人々が、新しく「変わるべき方向と思い」を共有し、努力の「ベクトル」を束ね、100,000人がそろって1歩を踏み出すことができた時、私たちのまちは「唸りを挙げて」変わっていくのだと信じています。

皆さんの「声と力を結集」し、大川やすひろと共に「新しいまちづくり」に向け取り組んでいきましょう!

今後とも大川やすひろをご支援賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

大川やすひろ